アジアの街を走るもの    市川 隆(評論家)

アジアから人間を考える[アジアのアーバンライフ]
「CELLLL」(43号 1997年12月号=大阪ガス エネルギー文化研究所発行)に掲載
目次
シンガポール度とバンコク度
トライショーとサムロー
アジアのエコタクシーはどこへ
シンガポールもバンコクでも東京でもなく
アジア広域輪タク分布地図

シンガポール度とバンコク度 

アジアの大都市の景観は、ますます似通ってきたと言われている。 いや、「アジア」とひとからげにすると、話の輪郭がぼやけてしまう。むしろ東アジア(もちろん東 南アジアも含む)と限定をつけた上で、環太平洋のロサンゼルスやバンクーバー、シドニー、メキシコ シティあたりまで広げたほうがいい。
高層ビル、高速道路、自動車の渋滞、ショッピングセンター、カジュアルなファッションの若者たち ……その似通った東アジア・環太平洋の大都市も、ひとたび路上に立てば、さまざまな特色があり、相 違があることに気づく。だが、それらの都市も、シンガポールとバンコクを両端にして目盛りを刻んだ 物差しを当てることで、おおよその計測が可能。あるいはまた、それぞれの都市が持つ特有な色合いを、 シンガポール色とバンコク色に「二色分解」できるというのが、かねての持説である。
(右:シンガポールのトライショー 1994年撮影)

たとえば、中国返還後の香港はシンガポール度四〇でバンコク度六〇、東京の新宿は歌舞伎町を中心 とした東口がバンコク度八〇で西口の都庁周辺は反対にシンガポール度が八〇、といった具合。
国内の近代化を目指すアジアの政治指導者や官僚は、概してシンガポール型の開発を目指すようだ。 フィリピンも中国も、ほかならぬバンコクを首都にいただくタイでさえも。いっぽう、アジアの通を自 認する旅人(外国人)の間では、シンガポールよりもバンコクのほうが断然人気が高い。

先日、シンガポールのブギス・ジャンクションを再訪した。九五年の夏に完成した複合商業施設で、 ホテルとショッピングセンターとアミューズメントコーナーで構成されている。日本の商業資本が入っ ているせいか、日本でよく見かける店舗も多い。
ブギスといえば、以前は男娼が大挙出没するスポットとして知られ、さらに遡って明治後期〜大正前 期には、東南アジアで最大の日本人娼館街が形成されていた。 マレー・ストリートやバイラム・ストリートという、かつては特別の意味を発した通りの名前が、そ のままショピングアーケードにも使われている。
(左:米国メリーランド州アナポリスのペディキャブ 1995年撮影)

からゆきさんたちが望郷の涙を流したであろう場所に 新しく建ったホテルのロビーでは、一目で日本人と分かる若い女性の三人連れが、高級ブランドショッ プのロゴマークが入った紙袋を脇に置いて、ハイ・ティーを楽しんでいた。 ここもまた、見事に再開発された。言い換えればシンガポール度をさらに高めて古き南洋・新嘉坡か ら脱し、バンコク度を低下させることに成功している、と感に堪えながら表通りに出たとき、目の前を ゆるゆると通り過ぎて行ったのは、一台の三輪自転車タクシー。痩せた老人が赤銅色の肌を汗で光らせ てペダルを漕いでいた。
その姿や形は、からゆきさんの時代からほとんど変わっていないはずだ。 シンガポールではトライショーと呼ばれている乗り物は、ブギス・ジャンクションから数ブロックほ ど離れた場所へ行くと、路地の両側に、ずらりと並んでいた。

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トライショーとサムロー

同種の乗り物は東南アジアにとどまらず、東アジアから南アジアの多くの都市で、今でも数多く見る ことができる。開放的で、なにやら少し怪しげで、むしろバンコク度が高く、バンコクの街にこそよく 似合いそうな気もするのだが、シンガポールには走っているのに、バンコクでは見ることができない。 緑あふれる中に高層ビルが林立し、近代的な都市景観ということでは、東アジア、環太平洋地域の中 でも最先端を行く街の中心部に、半世紀以上も昔の姿をとどめた乗り物が走っている。
これはいったい どういうことか。
(右:ベトナム・ホーチミン市のシクロ 1992年撮影)

種明かしをすると、路地に並んでいたトライショーは、もっぱら外国人観光客を乗せる「トライショ ーツアー」用のものだった。たいていは日が沈んで涼しくなってから名所めぐりをする。オプショナル ツアーの定番で、シンガポール政府観光局が推奨しているほどだ。漕ぎ手には若者も多く、その表情は 明るくて屈託がなかった。私は、アメリカ東海岸の観光地で見たペディキャブ(三輪自転車タクシー) 漕ぎのアルバイト学生、貧しさなどみじんも感じさせない若者を思い出した。
三輪自転車タクシーはこれまでずっと「停滞のアジア」「アジア的貧困」のシンボルと目されてきた。 現在でも、全アジアを視野に収めれば、旅客輸送手段の不足、つまり自動車が足りないという理由で走 っているほうが圧倒的に多い。シンガポールはむしろ例外と判断すべきだろう。 そのことも含めて、三輪自転車タクシーは、東アジア近現代の多様性、そして共通性というよりも共 時性を解くカギになりうる、と私は考えている。

日本では「輪タク」や「厚生車」、中国・台湾・マカオでは「三輪車」、フィリピンで「トライシク ル」、ベトナムとカンボジアでは「シクロ」、タイとラオスで「サムロー」、シンガポールとマレーシ アの一部で「トライショー」、インドネシアとマレーシアで「ベチャ」、ミャンマーで「サイカー」、 バングラデシュ・ネパール・インドではリキシャ」または「サイクルリキシャ」。 呼び名だけでもこれだけある。いや、国語の数ほど種類が多くないことに注目すべきだ。

そして、ト ライショーはトライ(三輪)リックショー(人力車)の短縮形、サイカーはサイドカーの転訛、トライ シクルは英米語そのもの、シクロはインドシナ半島製のフランス語、輪タクは自転車を意味する銀輪と タクシーの合体で、いずれも欧米語の影響がうかがえる。厚生車、三輪車、サムロー、ベチャの四つが、 欧米語が混入していないアジア語ということになる。

また、乗客用の座席が漕ぎ手の前後左右どこに設置されているかといった車体の構造、装飾の有無と 様式も、地域によってかなり異なる。同じ呼び名、同じ形式の三輪自転車タクシーの分布が、必ずしも 国境線と一致するわけではない。 一九五〇年代には、東は東京、北は北京、南はジャカルタ、西はニューデリーというように、アジア 諸国の首都のほとんどで、三輪自転車タクシーは観光客専用ではなく通常の輸送手段として走っていた はずだ。

東アジアで最初に三輪自転車タクシーが消えた首都はバンコクだった。当時の首相サリットの鶴の一 声で、市内から一掃された。一九六〇年のことだと伝えられる。そのときに足漕ぎ式サムローの代役と して軽三輪トラックが日本から導入され、それを改造して生まれたのが、今もバンコクの観光名物にな っているトゥクトゥクだ。 バンコクに続いて東京、台北、クアラルンプール、ジャカルタという順で、三輪自転車タクシーは姿 を消していった。

近代化を急ぐ若い国家として大いに体面を気にしたのだろうか、タイと同じように、 とにかく首都からだけでも、と排除を急いだのがマレーシアとインドネシアだ。それらの国では地方都 市に行くと、今でも通常の移動手段として三輪自転車タクシーが盛んに走っている。 インドネシアのイリアンジャヤ(ニューギニア島西部)にあるワメナでは、数年前に短距離用として 三輪自転車タクシーのベチャが、ジャワ島から持ち込まれデビューした。ワメナにも自動車は以前から 走っていたが、その不足を補う、あるいはすき間を埋めるのがベチャ導入のねらいだった。
(左:マレーシア・ジョホールバールのトライショー 1991年撮影)

さて、シンガポールの中心部で今でもトライショーが走り続けているのは、産業化やモータリゼーシ ョンの進展が遅れているからではない。 トライショーが、オリエンタリズムに補強されたエキゾチズムを発散させる貴重な観光資源だという ことも確かにある。だが、道路網も含めて市街地が整備され、また自動車の保有と走行を抑制する厳し い総量規制が実施されていることのほうが要因としては大きいかもしれない。
交通渋滞と大気汚染を抑 え込んでいるので、車道の上では弱者になりかねない単純構造の乗り物でも、軽快に走ることができる。 かりにバンコクの中心部で足漕ぎ式サムローを無理矢理復活させたとしても、あのすさまじい渋滞と 大気汚染の中で乗ってみようという酔狂な外国人観光客は少ないだろう。政府観光局がその乗り物を推 奨できるとも思えない。

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アジアのエコ・タクシーはどこへ

ガソリンエンジン式の自動車が発明された国ドイツで、三輪自転車タクシーが注目されている。短距 離移動用の、環境を汚さない「エコ・タクシー」というわけだ。新商売(エコ・ビジネス)として、な かなか繁盛しているらしい。オランダは自転車の普及率が世界一なので当然かも知れないが、やはり三 輪自転車タクシーが走っているという。
では、急速な経済発展を続けてきたアジアの都市でも、三輪自転車タクシーがエコ・タクシー、経済 的(安価)なタクシーではなく環境を汚さないタクシーとして脚光を浴びるようになるのだろうか。
(右:インドネシア・メダンのベチャ 1994年撮影)

シンガポールのトライショーも、完全に外国人観光客向けというわけではなく、近場の買い物や通院 などに利用する市民もいる。ただし、そのほとんどは年輩者で、若いシンガポーリアンがトライショー の客になっている図は、今までお目にかかった記憶がない。市内にはタクシーが多く、料金も比較的安 くて利用しやすいから、わざわざトライショーに乗る理由は見いだしにくいはずだ。 シンガポールでもトライショーは観光用へのシフトを強めている。外国人観光客を乗せれば高い料金 が得られ、効率よく稼げる。運賃相場が上がると、一般市民はますますそれに乗らなくなる。

実は、日本で輪タクが消えていくときも、同じパターンを踏んだ。一九六〇年前後、東京で最後まで 輪タクが残っていた場所の一つは、日比谷の帝国ホテル周辺だった。外国人観光客に目標を定めて皇居 前広場まで乗せ、日本人から見れば法外な料金を取っていた。同じことが現在、北京の天安門広場付近 や上海の南京路でも見られる。 三輪自転車タクシーが外国人観光客用に特化し、徐々に日常的な移動手段ではなくなっていくことを シンガポール型と呼んでいいのかもしれないが、近い将来の絶滅あるいは自滅を見越すのなら、むしろ 東京型とするほうが適切だろう。

シンガポールはトライショーを観光資源として積極的に利用していて、 路上の邪魔者とか、後進性をさらす恥ずかしいものだと決めつけてはいない。 いっぽうのバンコク型だが、過去の経緯を踏まえれば、首都にふさわしくない後進的遺物として、強 権をもって排除することの意味になる。
(左:フィリピン・マニラのトライシクル 1992年撮影)

しかし、もっと今日的な意味を持たせるのならば、自動車の氾 濫と道路の未整備による渋滞、さらに大気汚染によって、三輪自転車タクシーが走る余地さえ失われた 状況をバンコク型と呼ぶべきだろう。 なぜなら、急速な経済成長を続けてきたアジア各国の首都や主要な大都市、つまり上海やクアラルン プールやホーチミン市などでは、交通問題に関してバンコクと同じ悩みと苦しみを背負うようになって しまった。
東京や台北から三輪自転車タクシーが消滅したのも、観光客用に特化するというシンガポール型の変 化に引き続いて、交通環境の悪化というバンコク型変化が追い打ちをかけた結果でもある。 そしてまた、速度が出ないことを理由に、交通渋滞の元凶だという「濡れ衣」を着せられ、排除され るのも、バンコク型と呼ぶことができる。三輪自転車タクシーの命運に限っていうと、 [シンガポール型×バンコク型=東京型]  ということになる。

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シンガポールでもバンコクでも東京でもなく

シンガポールが、バンコク型の交通環境悪化を免れているだけでなく、東京型(三輪自転車タクシー の絶滅)に至る恐れも少ないのは、自動車の保有と走行の両面で総量規制を実施しているためだ。そん な規制ができるのは、政府が強力だというだけでなく、国内に自動車製造業が存在しないからである。 人口約三〇〇万の小国シンガポールは例外的な存在で、アジアのほとんどの国は、経済発展のために 自動車産業を中心に据えている。自動車産業を育成しようというときに、国内市場の締め付けにつなが る自動車の総量規制という政策は採用しにくい。
(右:北京王府井の三輪車 1991年撮影)

とにかく、二一世紀には、アジアが世界で最大の自動車生産拠点となり、同時に最大の市場にもなる と予測されている。 それがバンコク型の交通問題に悩む都市の増大、あるいはバンコク的状況がさらに深刻化することを 意味するのなら、手放しで喜ぶことはできない。 渋滞や大気汚染というバンコク型の問題を解決するには、シンガポール型を目指せばいいというほど 簡単なものではないことは、明らかだ。

だとすれば、シンガポール型でもバンコク型でも、そして東京 型でもない生活様式を追求して行くしかない。ことは交通の問題に限らない。過密であることを前提に した、安全で快適な、しかも地球環境を傷めることがない都市の生活様式。
それはアジアの都市だけで なく、世界中の都市が待望している。 とはいえ、街の中では自動車に乗る回数を減らし、その一部を三輪自転車タクシーに切り替えましょ うという提案は、週に三回食べていた牛肉のステーキのうち、一回は豆腐のステーキにしましょうとい う提案よりも受け入れられにくいだろう。 なにしろ自動車の魅力は絶大で、それを保有し乗り回したいという欲求が、アジア地域でも経済活動 のエネルギーに転化されていることは否定できない。
(左:上海南京路の三輪車 1993年撮影)

さて、ここから先は、完全な空想。
川べりのレストランで軽い食事をした後、太陽電池でも回るモーターを補助動力とするハイブリッド 型三輪自転車タクシーに乗り込む。川面を渡る爽やかな甘い風を受けながら、静かにゆっくりと走って いるとき、ある着想を得て、おもむろにノートパソコンを取り出し、内蔵の携帯電話でインターネット にアクセスする。
これが、知識産業で世界をリードするアジアの都市型ビジネスマンの新しいワークスタイル。シンガ ポールで流行に火がつき、たちまちホーチミン市のサイゴン河畔でも、バンコクのチャオプラヤー河畔 でも、香港島のセントラル(中環)や上海の外灘(バンド)でも同じような光景が見られるようになり、 ついには東京や大阪にも上陸──。

そこまでは行かなくても、物質的な豊かさの中で育ったアジアの若者たちが、レトロという以上の魅 力を備えた乗り物として三輪自転車タクシーを「発見」する可能性はあると思う。彼らは旧い世代より もずっと自由だ。その乗り物から、アジアの貧しさの記憶や暗さを過度に感じ取ることもない。 一九世紀末にイギリスで考案され、構造的な改良がほとんど加えられないまま二〇世紀を走り続け、 アジアの多くの都市で今も走り続けている三輪自転車タクシーの行く末に、私は注目し続けている。自 動車の群れに呑み込まれ消えていくのか、何か画期的な変身をとげるのか。過密なアジア都市の進む方 向が、都市に暮らす人々の生き方が、そこにもきっと反映されると思うのである。

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